ダム

僕の原風景はダムだ。

幼い頃の記憶はあんま覚えてないし、実家にねむってた昔のアルバムを見たときも、
懐かしさは殆どなく、うすぼんやりとした感じになるだけだった。

特に小学生から大学2年までを過ごした熊谷での、幼い頃のことはほどんど覚えてない。



僕が記憶を辿った時、思い出すのはいつも僕が生まれ、じいちゃんばあちゃんが住んでる岐阜での記憶だ。



それが記憶に残っているのは、たまにしか行けない、遠くはなれた特別な場所であったというだけなのかもしれない。








今年の始めにじいちゃんが亡くなった。
その時じいちゃんとの思い出を思い出してたら、一番古い記憶はダムにつれってってもらったときの記憶だった。
すべての記憶を合わせても、それが一番古い記憶である。

じいちゃんの住んでいた場所からすぐ近くの、岐阜県恵那市の阿木川ダムというダムである。



ダムとしては特筆すべきことはないただのロックフィルダムだが、そのダム湖の湖畔には親水公園があり、
ダムのすぐ下には資料館やダムの放水を間近に見ることができるスポットがあった。



小さい頃はそこへよくじいちゃんにつれていってもらった。

僕はその親水公園で遊ぶよりも、ダムの上や下からただ眺めているのが好きだった。





ダムは巨大な土木構造物である。
ダムは必ず山の中の自然があふれる場所にあり、自然と人工物というわかりやすい2項対立を形成している。
ダムは自然を削って人工物を作るのであり、それゆえ自然破壊という批判を受けやすい。


しかしダムはその巨大さと自然との対比ゆえ、強烈に訴えかける環境を作り出す。
もちろん、ダムによる人工湖という解りやすい環境も作る。



なんかその、人間の手でつくる環境ということが、僕はものすごく好きだ。
もちろんダムそのものも好きだが。

小さい頃から、ダムのそういうとこに惹かれていたんだと思う。




今まで建築をやっていてなんだかもやもやしたものがあったが、それに気づいたときになんか吹っ切れた気がする。
僕は空間というより環境を作りたいんだと思う。

原風景ってそういうことか。







国大4年生へ、
原風景ワークショップ、やります。